「グラントリノ」で偏屈だけど漢気溢れるじーさんを見せてくれたイーストウッドがさらなる渋みと深みと凄みを見せてくれた『運び屋』

イーストウッド作品は良作ばかり。安定感があります。

ヨボヨボのじーさん、乗ってる車も(最初は)ボロボロ、携帯も満足に使えない、しかしチャーミング。(ここがグラントリノのじーさんとの違いだと思っています)年老いても、会話はウィットに富んでいて、気の利いた返し。自由に生きて若いころは さぞかしモテモテだったでしょうね。そのうしろで家族はどんな想いをしていたのか。直接的な説明はないけれど関係が悪くなっても自由人であることをやめれなかった一人の男のお話。

人間味がある人物なのか、ひとの懐にふっと入る人っていますよね。はじめはじーさんと見くびっていて肩ひじ張ってたマフィアの怖い兄ちゃんたちもいつも間にかじーさんのテンポに。スマホの操作親切に教えてあげちゃうくらいの親密さ。じーさん凄いね。なんだか運び屋といいながらもロードムービーを見ているような感覚に。

しかしながら会話のテンポ、トーン、歩き方、それは演技なのか?実際にイーストウッドの年齢を考えれば演技のような、通常運転のような?

ラストの「ギルティ」と言葉にするシーン。それはこの事件の判決に対してだけでなくこれまでの彼の人生に対する彼なりの答えだったのではないでしょうか。自由人であって好き勝手に生きてきたけど、自分は罪人だと。

ふとしたシーン、表情、セリフにこれまでの人生の重みや、苦労がにじみ出る。人生で大切なものは家族だったなんてありきたりなテーマだけど非常に説得力のある胸に響く作品でした。エンドロールでは「老いを迎え入れるな」と歌詞にあります。「老い」とは?鑑賞のタイミングによって様々な感想が湧き出そうなこの作品。また人生の別のタイミングで再度鑑賞したいです。

それにしてもイーストウッド監督、どうか長生きして映画とかかわり続けていただきたいです。