アカデミー賞といえば映画ファンとして受賞の予想するのも楽しいし、ちょうど日本で上映している時期だったり、毎年のハプニングだったり、女優さんたちのファッションにも注目といろいろとで 楽しみなイベントの一つです。

さて、今回ちょうど新潟で上映時期を同じくして、通じるテーマを扱っていた2作品について思うところがありました。

「グリーンブック」 1962年ニューヨーク、未だ人種差別が根強く残る時代に
インテリな天才黒人ピアニスト のコンサートツアーに粗野で無教養なイタリア系用心棒が運転手として雇われる。 反発しあうコンビが徐々にお互いを受け入れてゆくロードムービー。黒人でありながら天才ピアニスト。差別の残る世情のなかで才能ゆえに表向きは特別な扱いを受けるが、裏では相応の対応になる。黒人からも同じ人種でありながら特別な扱いを受けているピアニストを奇異の目で見られる。どちらのカテゴリからも外されてしまう孤独感。

一方「ブラック・クランズマン」。予告編を見る限りヒャッハーッ!!なハイテンションブラックコメディみたいなノリを想像していましたが、ラストで頭ぶん殴られた感じ。あーこれって「帰ってきたヒトラー」並みのド級風刺ムービーだやられた…というのが感想で鑑賞して一週間たちますが未だに引きずっております。1979年のアメリカが舞台。しかし過去と現在はつながっている。ノリノリハイテンションでラストまで突っ走るかと思いきや...。アメリカという多民族国家の中でそれぞれのアイデンティティ、ルーツ、考え方、随所で深い深いところまで考えさせられる。特にアダム・ドライバーが大変良かった。

さて、人の価値観、考え方、その根幹はいつどの時期に形成されるのか。三つ子の魂百までというけれど。幼少期、青年期、成人してから、折々でその時の環境う、影響を受けるモノ、ヒト...

私自身はこの年齢になり、根幹で変わらないこともありつつも、人との出会いで人としての在り方を大いに学ばせて頂きました。その機会は今の時期でなければならなかった必然性を感じています。今より早くても、遅くても、私の価値観を変える結果にはならなかったでしょう。因果というものを感じる今日この頃です。

さて、映画に話は戻り、2つの映画に共通した人種差別問題。日本は島国、世界規模で難民問題が議論される中、何となく画面の向こう側の世界のようです。ただ、今回の「ブラック・クランズマン」の鑑賞の衝撃の中、今でも根強くくすぶっていて何かのきっかけで勃発する人と人との主張合戦を身近な問題として突き付けられたようです。個と個なら分かり合える、だけれども、集団と一括りになるとなんだかフィルタリングがかかってしまう。複雑な世の中を生きる中で、シンプルにできること、日々自分の考えを持ち、 群れず、 染まらず、他に寛容でいる。今はSNSなしに生活するのが困難な時代になりました。情報はあふれています。今から2000年前ユリウス・カエサルは「人は見たいものしか見ない」と言っています。これを受け入れるか、拒絶するかで世界は変わってくるのではないでしょうか。