国立新美術館【クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime】/感想
クリスチャン・ボルタンスキー、大地の芸術祭の「最後の教室」のアーティストといえばピンとくる方もいらっしゃるかもしれませんね。
東京国立新美術館で回顧展を開催中です。
私が彼の作品を初めて体感したのはやはり「最後の教室」
廃校した学校を空間作品として体感。彼の作品は五感を刺激する。さらに個人の記憶や存在、不在、時間の経過、取り残されたもの。
次に見たのは2016年、東京庭園美術館。アールデコ調の繊細な室内装飾とボルタンスキーの儚い作品と相まっての素晴らしい展示。観に行けたのは幸運でした。
今回の国立新美の作品も回顧展というだけあり初期から最頻のものまで。
彼の作品、初期から現在まで通じて感じさせられるのは「記憶」「始まりと終わり」とりわけ「死」「終わり」について。
個々の作品に説明はありません。作品ごとにキャプションもなし。入り口で渡された簡単な地図を頼りに会場を進みます。
作品と向き合い、感じたものを自分の中で咀嚼し自分なりに考える。答えはない。考えることが重要なんだと。
死について。始まりのあるものには必ず終わりがある。
個人の記憶は他者にとっては無価値に等しいもの。そんなこのとを連想させる作品群。
ボルタンスキーからの果てしない真理を突く投げかけに、五感をフルに使って思考し、美術館を出たときは現実世界に戻ってきたような感覚でした。
「死」について考えるメメント・モリはラテン語。中世ヨーロッパではキリスト教の考えから最後の審判を想い現世を生きよとの格言にとらえられていた節があるようですが
実際は死について考えると『今生きていること』『残された時間』『自分にできること』とりわけ人にやさしく、寛容になるそうです。
〔概念〕を目に見える作品に落とし込み、鑑賞者に問題提起を起こさせる。
体感型の展示だから図録は買わないつもりだったけど、ボルタンスキーの意図を少しでも探りたくて買ってしまいました。
現代アートは分かりにくいと思われがちです。しかし作家の考える問いかけ、表現を自分なりに深く考えてみる、そういった面白さがあると思うのです。
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