コラム

新潟市美術館『東郷青児展』

こんにちは、トレド 山口です。

現在、新潟市美術館で開催中の『東郷青児展』へ行ってまいりました

名前を知らなくても絵を見れば、どこかで見たことのある「麗しの女性像」で一世を風靡した画家であります。

『青児美人』は東郷作品の中でもとくに有名なで人気の作品シリーズ。陶器のように透き通るように滑らかな肌にモダンな衣装、愁いを帯びた表情とぼんやりとした視線。独特の空気感に包まれた女性像。

洋菓子店の包装紙、ナプキン、焼き菓子缶をデザインしたり、婦人公論、保険会社のパンフレットと、幅広く活躍した画家です。

今回の展覧会で感じたのは東郷青児の女性への尊敬と敬愛、また尊崇に近いような感情を作品から感じました。

男性も描いています、女性の共に。私にはただ女性を際立たせる背景、添え物にしかみえませんでした。

 

今回の展示、興味深かったっものがもう一つ。

東郷の『ことば』です。折に触れての雑誌のインタビューや作品、モデル、クロッキーなど」とらえ方ついて語った東郷のことばが大変に面白い。特に本の装丁について。私が仕事で扱っている商品にも通じる考え方に、こころ動かされました

簡単にご紹介させて頂きます。当時、東郷は本の装丁のお仕事もしていました。

『用紙の色を選定し、活字の大きさを指定する、そのことだけだけで実にすばらしい本が出来上がるが、依頼者の方では究極の美がそこにあるとは思ってくれない。装飾的で華美なのもがあってはじめて同感してくれるのである。古賀春江の画集を装丁した際は存分に考えに考えを重ねた結果、海老茶一色の無地に古賀春江の四文字を白で浮かせた。この打ち出しに僕も苦心し、印刷も製本屋も苦心した。が、一般の人はこの単純なよさ、整理整頓されたよさというよさというものをあまり高く買ってくれなかったようだ。

日本には茶の湯、能楽、生花等数百年の歴史的洗練をくぐってほとんど地色の見分けがつかないほどのさびのよさがある。成金趣味の金殿玉棲と雨風に晒されてさびきった茶室の味は比較にならない美醜の対照である。

下手物趣味は思い付き本位でアッというがただそれだけで、時間が経つにつれて、その思い付きが嫌味となり、臭気となり、到底一生の伴侶として座右に飾ることはできないと思う。

百年先の価値は下手趣味の思い付きでもなければ、けばけばしい極彩色の印刷技法でもない。内容を盛るところの用紙と活字の生命である。本の装丁というもは座興や洒落ではない。座興や洒落だったらその場限り、五年先、十年先の責任は持つ必要もないし、また持たぬところにシャボン玉のような可笑しみもあるのだが、書籍は精神の糧であり、こめのめしであるから、一生食って食いあきぬところの味が必要なのである。

百年の先の価値は下手趣味の思い付きでもなければけばけばしい極彩色の印刷技巧でもない。内容の盛るところの用紙と活字の生命である (『書物展望』第5巻第4号、1935年4月)』

 

弊社は、150年以上前から愛され続けらている家具を販売しています。まさに本当の価値のある、これから先も価値の変わらないもの、傍に置くことでさらに価値のあるもの、価値のある暮らしになるのもを扱っていると考えています。

時代は違えど80年以上も前にこのような事を考え作品を制作していたアーティストいた。

その作品に対する、自身の仕事に対する真摯な誠実な姿勢に深く、感銘したのです。

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